ひよこ
ひよこのことを思い出して悲しくなった。また、悲しくなりながらひよこを思い出した。このひよことは、最近夢に出てきたひよこのことである。
ここから夢の話だが、戦争で捕虜になった私は、同じく捕まった人々と列をなし、ぞろぞろどこかに曳かれていった。私の隣は幼い女の子で、見ると、握ったリードの先にひよこを連れている。
ひよこといっても両手で掬うくらい大きい、うす黄色のふわふわした丸いもので、ケサランパサランという架空の生き物がちょうどそっくりである。そこにソラマメの形をした大きくてマットな黒目、気の毒なほど小さなくちばしがちまっとついているが、これらは形だけのもので、実は何も見えないし食べない。不気味だがどこかいたいけなひよこだった。
女の子に頼まれて何の気なしにリードを受け取る。その瞬間、スポーンとひよこが飛んでいった。物理的に。しまった、と凍りつく。もう遅い。
私では乱暴すぎたということ。女の子は自分がどんなに優しい手をしているか知らなかったのだろう。ひよこが飛んでいったのは、私が相応しくない力でリードを握ったからだった。存在の優しさは釣り合わなければいけない。この世界はそういう仕組みなのだ。
捕虜の一行はずり足で進む。ひよこは列の前の方に、変わり果てた姿で落ちていた。毛はほとんど抜け落ち、かろうじて残った羽毛の根元にグミくらいの小さな塊がついている。それが剥き出しの本体だった。今にも踏まれそうな足と足の間で、弱々しく点滅している。
「死んじゃう……」
女の子が泣きそうになる。私のせいだと言えなかった。
存在の優しさ。魂のきめ細かさとも言えようか。自分には決して触れられないものを突きつけてくる夢の中で、ひよこの姿をしていたそれは、本当は見ることも聞くことも出来ないのだろう。触れられないよりは、どんな理不尽を受けてもいいから、優しく優しく、全ての存在の中で一番優しくなりたいと思って、やりきれなくなる時がある。できないとわかっている。自分に対する失望ではなく、そういうものだから。
夢のあの女の子にも、抱きしめられないものとか あったのかな。
愛おしさの温度
そういえば今朝私は泣いていた気がする、と、手が止まる。昼頃やっと起き出した日の午後のこと。そうだった、お父さんの余命が残り十ヶ月だと知る夢を見たのだ。出際に声をかけに来たお母さんは、私の涙を見るやいなやただならぬ声で心配した。夢が悲しいのか夢とわかって安心したのか、泣いて当然じゃないかとふて腐れた覚えはある。
愛について考える。お父さんが大好きだけど、存在が大きすぎて一生守られる側だ。お母さんが食卓で夢の話をすると「そりゃ、悲しいね…。お父さんの余命が十ヶ月だったら」嬉しそうというより、小さい子供に語りかけるように、穏やかに言った。それから嬉しそうに、一緒に行った旅行の話を始めた。
もういい。私たちという家族はこれでいいのだ。世間がどうでも。老いに傾きゆくこの家には、私が柔らかい赤ちゃんだったその時と同じ、同じ光が、ずっと差していたのだ。案外自然と大人になるのだろう。私は私のはやさで。与えられたものをきっと返しきれない。たくさん愛された。この涙を流せるなら、信じて良いのだ。
追伸、友達へ 生きてます
廃品回収の朝
12月18日
早朝。一見澱んだ曇天に見えた外は、光が不足した清らかな霧の底で、夜が捌けていくさなかだった。
新聞の塊をカートに積んで、お母さんと捨てに行く。
真夜中がまだ続く駐車場を抜けて、青い夜明け前に踏み入る。黙々とカートを押す私たちの脇を、車が数台囁くように路面を滑っていった。上方ではとり残された星に見える二粒の光が並んでいるが、これは夜通し点いていた建物の灯りで、もうすぐ消えてしまうだろう。
ゾウ
ゾウマジで 愛おしいよ 乗るのも良いけど鼻で抱き締められるのがいい、ゾウの鼻、人間の腕に喩えるより 人間の指先くらい神経の張り巡らされた、器用で大いなる、他の動物にはない神聖な器官と言うべきで、天使のような繊細さと包容力でぎゅっとしてもらえる。人間より上位の美しい生き物かと思った
昨日のツイートの続きを書きましょう 旅行を終えてから恋しさでどうかなっていたエジプトと同じように、かつて喪失感で寝込む羽目になりながら、心の故郷をひとつ豊かにしてくれたものと言えばゾウ、タイで私を抱きしめてくれたゾウの鼻です
『白鯨』ではマッコウクジラについて「顔の中央に無が聳えている」のように書かれていますが、私はゾウに触れながら似たことを思いました。ゾウは顔の中央に親愛を据えていると。そしてクジラ同様何も語らない。
洗練されたゾウの頭部に比べて、人体って。
腕が2本も要るだろうか、指が10本も要るだろうか。この指あってこそ人は様々なことを追求してこられたが、人だけがそうしたがるのは、人が他の生き物なら皆わかっている何かを決してわかることのできない唯一の種だからであり、他の生き物から見て人の知性など、特に羨ましくないヘンな習性なのではないか。
言葉にする必要があるのか。あの全てわかったようなハグに代わる何かとは何なのか。何故コミュニケーションの要である顔の中央にあるのが、何の意思も伝えない「フルヘッヘンドせしもの」のままでいられるのか。何世代先にもハグするための器官は備わらないであろう、口うるさい人間のどこがゾウより神に近いのか。
長年の険しい表情が刻まれた私の父は、昔からゾウとカンディンスキーが大好きで 娘だからか私だからか 私は父という人がそれらを好きなことに深く納得できるのです。( ナイーブで、大らか。) ある時その父の机にゾウ使いの留学パンフレットがたんと積まれていました。ゾウと笑っている父を思い浮かべます。そして痛いくらい、その笑顔が本当になればいいのにと。人のまま優しくありたい。
ヨーグレット
似た味のお菓子食べて思い出した。風邪をひいた時、よく効くよってヨーグレットくれた人。元気だろうか。
心臓がぎゅっとなるとともに味が失せて、ばらばらのかけらをやるせなく噛んでた。胸の真ん中にいるうさぎみたいなものを、今だけお皿にのせて、透明な抜け殻で眠りたい。眠りたい。
Tweet供養1
一人用Twitterアカウントで呟いていたものを見直していました。紙の日記も書いてるけど、140字の投稿欄は何か憑いてるってくらい書きやすい
大嘘!孤独だなんてどの口が言ったんだ…。もっと狭まった、領域を ペイントナイフでこそげて切りっぱなしの縁にする、そんなニュアンスの動詞があれば、今使いたいんだけど。
(19:10 2018/11/19)
どんなニュアンスか全く思い出せない
ステンレス缶を、ステンレス缶なんか、という気は毛頭ないけどさ、…嘘つけ、感動なんかしていないくせに、愛でるのはやめろ!偽物を容認するなよ。責める代わりに背負うぞ、謙虚に押し黙って本物を探すさ。そして誰よりも歯切れの悪い絵を描き、終いには線一本描けなくなる。
偽物?
一体この世のどこに偽物があるんだろう それはステンレス缶に対しての偽物であって、我々がつくるのは絵画のはずだ。
(14:00, 14:02, 14:04 2017/02/09)
これは予備校の「ステンレス缶を描け」という課題に取り組んだ時のこと。みんなつまんない絵を褒め合ってて不気味だった。現在の堕落した生き方を叱られる思いです
どんなに焦っても私には今と私しかなくて、時間は寝ろと言っている。
(0:56 2018/11/22)
寝ることは、勇敢で大儀ある行為に位置づけられてますね。今でも。
忘れちゃダメだ
(0:21 2018/11/27)
呪文のように何度も繰り返されてましたこのツイート。いつにおいても大きなプレッシャーとして頭の中にある
呟きの大半は、寝るべきなんだ・忘れちゃダメだ・やっぱり最高・取りこぼしたのか?・目を覚ませって! この5つ。人は変われど変わらんね。
魘された方がマシ
目が開かない。が、私にはわかる。ここはエジプトだ。
どうやら砂に生き埋めらしい。まろやかな粒子に包まれ、身動き一つとれないのだ。強烈な太陽。しかし、ああ、エジプトだ!またここにいる。涙が出そうだ。するとその心を聞きつけたのか、たくさんのほっそりした腕が伸びてきて、私をいたわろうとした。
「大丈夫ですか」聞こえる。どうしても応えたい人の声。(大丈夫です)、(大丈夫ですから)体の檻を内側から叩く。待ってくれ。最後にもう一度、瞼を返してほしい。すぐそこはエジプトなのだ。目を開けさえすれば。今生全てを説明できる景色が、目を開けさえすれば……
わ゙!素潜りから帰還したかのように飛び起きると、ヒーターに近い皮膚が真っ赤になっていた。眠れないとわかってまた寝ころがる。