diary

加筆修正はめっちゃする

よく生きよう?

浮き沈みが激しい。命の自覚を得ては失い、点滅して生きてきた。もしかして、自分の輪郭が無いなんて見当違いな悩みで、私の正体は"波"なのでは?

「生き辛いあなたのために」「ラクになってもいい」「頑張り過ぎない生き方」教科書的に説かれると、蕁麻疹まみれでギャーンと癇癪を起こす。何を目指す生き方なんだ。確かに私は"答え"を知らないが、あなたも知らないはずだ。宗教ですら「知ってる」とは言わない。「信じる」と言うのに。

極端ならば限りなく極端に浮いて沈む。私なりの、命の喜び方だ。しかし…。3000生きて10000消える。これじゃ破綻する。

「コペルニクス的」

コペルニクス的」を使ってみたい。

コペルニクス的」を使うのに、「コペルニクス的」の意味を知っているだけでは不十分だ。やっと手に入れた「コペルニクス的」を握りしめ、ここぞの場面でえいっと貼っつけるなんて、ダサすぎる。

自然と浮かび上がる書き順をなぞったら「コペルニクス的」だった。それが極致だ。時を待て。

完成させることの難しさ

書き始めることはできる。書いては消し、書いては消し、消し、消し、絵もそうだ。何気ないスケッチが一番鋭い。終着点を探り始めた途端台無し。

ふっと感じたことを捉えられても、その先がわからず、出来合いのまとめ方をするしかなくなる。違うとはわかっても、それ以上見えてこない。形を与えなければ丸ごと消えてしまう。

純度を損なわないためには黙るしかないのか。現実は、形あるものだけが居られる世界だ。私はどうしたいのか。一生に一つでも良いから、完成を世に出したい。

色 色

作品展のテーマ「色 色」。どんな作品にしようか。私の作品を受け止めろというより、作品が生む空間を散策してほしい。体験そのものをデザインしたい。そこでの呼吸が、忘れられないものになればいい。

そう考えるうち、絵から離れて企画めいてきた。没案を紹介する。視覚以外で、色をとらえるというものだ。試しにiphoneの辞書で引いてみる。

青、「良く晴れた日の空の色。」

赤、「血のような色。」

黄、「菜の花や向日葵の花の色。」

そこから更に自分で膨らませ、気付けば長い時間過ごしていた。没だけど。楽しかったから。