うさぎごはん
(2019/05/22に書かれたものです)
「グリーンピース入りのご飯を何と呼ぶでしょう!?」
帰りの生徒で賑わう廊下と扉一枚隔てて、放課後の教室はのどかに時間が進む。そこへ突然やって来た友達が、そんなクイズを投げたのだった。
「うさぎごはんです!」
答える間もなく明かすだけ明かして、友達はどこかへ行ってしまった。
なるほど、うさぎごはん。何もうさぎじゃないのに、確かにうさぎだ。私は完全に納得させられていた。最早屈服に近かった。
高校生活の60秒も占めない出来事だが、そのミッフィーにも匹敵する秀逸なネーミングにショックを受けた私は、密かにしばらく落ち込んだのだ。
(「何もうさぎではないが確かにうさぎ」などという奇妙な説得力はどこから来るのか?その秘密は実際の豆ご飯と「うさぎ」の絶妙なズレにある。白い、ふんわり、薄緑、小さい、春の原っぱ、…繋がっているのにあべこべだ…間違い探しの二つの絵を見比べる黒目のように、意識がこのズレのあいだを忙しなく往来することで、豆ご飯と「うさぎ」は一度還元され、練り直され、パン生地のように漠然としたイメージが生成される。それこそが豆ご飯全体を包括した姿、豆ご飯そのものの姿、豆ご飯の核心だけが浮かんでいるような、不思議な実在感の正体である。命を与えたいなら、説明してはいけないのだ。私は当時絵を描いており、いかに描かずして表すかにこだわっていたが、前述のうさぎごはん理論が活躍しすぎで悔しかった。出しゃばるなうさぎごはん。)
忘れようはずもない。
今日の夕食が、例のうさぎごはんだった。
豆にはすこし硬めの炊き上がりが合う。程良いまとまり、薄い塩味。そして、ちらほらのぞく萌黄色の愛らしいこと。ご飯全体がうさぎなのか、豆がうさぎなのか。それともまるで人見知りみたいに、ほんのり香るところだろうか。あまねく存在するうさぎ。
「今日みたいなご飯なんて言うか知ってる?」
「豆ごはんじゃないの?」
ふふふ 違うんだなそれが。
はやる気持ちをおさえ、一応確認しようと検索した画面にはうさぎの飼育に関するページが並ぶ。 “うさぎのエサは何が良い?”、“うさぎのペレットおすすめ7選”、“うさぎの食性と栄養” ……
うさぎごはんは?
あるはずなのだ。
あまり贅沢できない昔に、豆入りご飯が炊かれるこの季節を楽しみにする人々が、卯月の卯(う)からそう呼んだ、とか。
炊事係の軽食だった豆ご飯おにぎりを、「うさぎ飯(家畜の餌)だな 」と嘲笑するお殿様であったが、ある日こっそりつまんでみたところ驚くほど美味であったので「うさぎ御飯」に格上げして晩年までこよなく愛した、とか。
児童絵本『うさぎごはん』とか。家庭科の調理実習でちょっと水加減が多くなったうさぎごはん、とか。一階から香ばしく立ちのぼってきた夕食の気配が自室にまで漂い始めると同時に「今日はうさぎごはんよ」と呼ばれた懐かしい新学期の記憶、とか……。あるはずなのだ。
「なに、教えてよ」
「ええっと…」
……“【ASMR】うさぎ咀嚼音”、“うさぎのエサの与え方”、“与えて大丈夫?うさぎの飼い方”、“人気のうさぎ エサ ペレットランキング”……
えっ。まさか ないの?
「うさぎごはんです!」
あの放課後以来、ずっと魔法が掛かっていたらしかった。そうとは知らず解いてしまった。何かがぴょんぴょんっと逃げていって、白い校舎はまたひとつ幻に近付いた。