diary

加筆修正はめっちゃする

ゾウ

ゾウマジで 愛おしいよ 乗るのも良いけど鼻で抱き締められるのがいい、ゾウの鼻、人間の腕に喩えるより 人間の指先くらい神経の張り巡らされた、器用で大いなる、他の動物にはない神聖な器官と言うべきで、天使のような繊細さと包容力でぎゅっとしてもらえる。人間より上位の美しい生き物かと思った

昨日のツイートの続きを書きましょう 旅行を終えてから恋しさでどうかなっていたエジプトと同じように、かつて喪失感で寝込む羽目になりながら、心の故郷をひとつ豊かにしてくれたものと言えばゾウ、タイで私を抱きしめてくれたゾウの鼻です

‪『白鯨』ではマッコウクジラについて「顔の中央に無が聳えている」のように書かれていますが、私はゾウに触れながら似たことを思いました。ゾウは顔の中央に親愛を据えていると。そしてクジラ同様何も語らない。‬‪

洗練されたゾウの頭部に比べて、人体って。

腕が2本も要るだろうか、指が10本も要るだろうか。この指あってこそ人は様々なことを追求してこられたが、人だけがそうしたがるのは、人が他の生き物なら皆わかっている何かを決してわかることのできない唯一の種だからであり、他の生き物から見て人の知性など、特に羨ましくないヘンな習性なのではないか。

言葉にする必要があるのか。あの全てわかったようなハグに代わる何かとは何なのか。何故コミュニケーションの要である顔の中央にあるのが、何の意思も伝えない「フルヘッヘンドせしもの」のままでいられるのか。何世代先にもハグするための器官は備わらないであろう、口うるさい人間のどこがゾウより神に近いのか。

 

長年の険しい表情が刻まれた私の父は、昔からゾウとカンディンスキーが大好きで 娘だからか私だからか 私は父という人がそれらを好きなことに深く納得できるのです。( ナイーブで、大らか。) ある時その父の机にゾウ使いの留学パンフレットがたんと積まれていました。ゾウと笑っている父を思い浮かべます。そして痛いくらい、その笑顔が本当になればいいのにと。人のまま優しくありたい。